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仏教における自我について

太古の海の化学反応で生成された最初の生命には自我は無かったと思います。しかし、脳が出来て徐々に自我が発達したと思います。自我とは生物の生存本能に基づく自己防衛システムだと思います。五感から様々な情報を取り入れて、危険を察知してあっちに逃げようと思ったり、食べ物の有る方向に行こうとしたりする情報の受け取る主体として、自我という生存本能システムが徐々に発達して、高度に考えるという機能を持ったと思います。


しかし、副作用として、過剰な自我の反応によって、生存するためのシステムに過ぎなかった自我が余計な事を考えるようになって、悩み苦しむようになったと思います。よって、苦しみを生み出してる=感じてるのは自我なので、それを消せ(悟り、解脱)というのが仏教だと思います。しかし、元々は生存するためのシステムとして誕生したものですから、生きてく為にはそれを消すことは矛盾するので、なかなか消し難いのだと思います。




| 21:04 | 未分類
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