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選民思想

2019年08月24日
選民思想は差別を生む。例えばユダヤ人は迫害受けたけど、彼らもまた迫害を与えたものと同じく選民思想を持っていて、強い立場になった途端に、弱い立場のパレスチナ人を迫害している。人を見下す思想は最悪だ。

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子供の頃

2019年08月21日
私の子供の頃は、街角のゴミ置き場も仕分けとか厳しくなくて、雑多に色んなものが捨ててあって、子供にとってはお宝の山だった。ブラウン管テレビの磁石を取ったり、おもちゃや、時折、指輪やお金が有ったりした。

また、ガラス瓶のジュースがまだあって、道端に瓶が転がってた。拾い集めてはゴミ屋さんに売りに行った。あと、ゴカイを採って釣具屋さんに売りに行った。お宝さがしと収入になることで楽しかった。
| 21:08 | 未分類 | コメント(2)

病気

2019年08月13日
身体表現性障害という、精神に起因して体に異常の出る病気です。下半身がいつも強烈にしびれています。辛くて仕事する気が起きません。だから家で絵を描いてます。引きこもりの廃人状態です。情けない人です。ごめんなさい。

強迫障害が有って、ガス、電気、水道のチェックで、出掛ける時に凄く時間掛かります。ドアの鍵かけた後も、また心配になって、部屋に戻ったりします。その癖、大事な事をポカっと忘れてたりします。

人が集まるような行事が先々有ると、その何か月も前から憂鬱になってしまいます。いよいよ近づくと、何も手につかなくなってしまいます。行く日は腹がギュルギュルになります。後消し
| 17:22 | 未分類 | コメント(0)

子供は見て描かない。自分の子供の頃を思い出しても、見て描いて無かった。頭の中にあるイメージ(車は四角と丸いタイヤ、空や海は青みたいな概念)を描いてた。見て描くようになるのは、小学校の図画で写生を始めてから。今でも観ずに描くと子供の絵に近づく。

見て描くのは、写経と同じで意外に無心な事が有る。普通の人は、見ずに描く抽象画の方が意図的(こうしようああしよう)になりがち。しかし、イメージが降りてくる天才(草間彌生など)は、多分、抽象画でも意図的にならない。それはイメージを描き写してるようなものだから。

子供はまだ経験が浅いので、車なら車の固定イメージ(概念)が四角に丸いタイヤみたいに単純。しかし、観て描くことを繰り返してる内に、概念が上書きされていき、やがて見なくてもリアルに近くなる。でも、子供のような面白い絵では無くなる。

ピカソは、大人になるにつれ、上書きされて出来上がった固定概念を壊して、子供のような面白い絵を描こうと思ったのじゃないか?大人でも途中で写生的な絵を頑張らなかった人は、概念の上書きがされておらず、大人でもヘタウマな面白い絵を描く人が居る。

頭の中に出来あがった固定概念のイメージ(人の顔とか)は、記憶として神経回路が出来上がってるので、変えることは難しい。だから、一人の人が描く絵は、毎回、同じようなものになってしまう。それを個性と言ったりする。

絵を描き始めた頃、想像で描いた絵(私のアイコンがそう)は、へのへのもへじみたいだった。私の顔の概念はこれだったから。同じ様なのしか思い浮かばず、行き詰まり写真模写を始めた。でも、出来たのが写真と同じじゃ、写真で良いじゃんと思った。そして今に至る。

別に写真模写をしたいわけじゃない。出来る事なら、イメージで描きたい。でも、私のイメージは固定されていて、同じようなのしか描けない。それでは行き詰るので、イメージは外に借りて、写真模写をしているだけ。イメージが降って来る天才が羨ましい。
| 22:29 | 未分類 | コメント(0)

論理と感情

2019年08月10日
論理計算だけでは決断できない。論理的帰結は変数によって限りなく細かく増えていくから。そんな時に感情が役立つ。例えば、目の前に蛇が居た時に、それを避けるか、手に取るか。そこで怖いという感情が有れば、避けるという決断をする事が出来る。論理だけでは決断できない。
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絵の成功

2019年08月10日
絵での成功と言っても、趣味でたまに売れれば良いなら数千円で売るので良いだろうし、絵で生活をと考えれば、数万円以上で売れる、売れ易い定番の絵柄の売り絵を描くのが良いだろうし、名を残す画家にと思えば、飛びぬけた才能と権威に評価される幸運が必要だ。
| 04:50 | 未分類 | コメント(0)

精神科への不信

2019年08月10日
精神科医は占い師と同じ。病名何て主観で付けてる。薬は対症療法に過ぎず、症状を抑えるだけで、根本治療にはならない。根本原因をどうにかしなければ、ずっと薬に頼り、薬漬けとなる。その内、病気の症状なのか、薬の副作用なのか本末転倒になる。

以前、身体表現性障害で精神科を受けた時に、先生の診察の前に、看護婦の問診で一時間ぐらい身の上話した。さすがに精神科だ。ちゃんと事前に聞いてくれると思った。しかし、その後の先生の診察は最低でがっかりした。先生の診察より、看護婦にただ話を聞いてもらった時の方が気持ちは救われた。

その時の精神科医は、大学出たての若造な感じで、私が根掘り葉掘り疑問を呈したら、だんだん、キレて来た。患者にキレるような精神科医何て、信用できるかと思った。その後、お金もなかったし、薬漬けも嫌だったし、先生を信頼できなかったので、2か月で行かなくなった。

抗精神薬は、ドーパミンやセロトニンなどを制御することで、一時的に不安感を抑えたり、多幸感を与える。対症療法的に症状を抑えるだけ。この作用は、副作用や依存性が低いか高いかの違いだけで、同じように多幸感を与えたり、高揚感を与える禁止薬物と程度の差こそあれ同じ。

薬にいつまでも頼らず、考え方や行動を変える方法で、改善しなければ、いつまでも薬に頼り、薬物依存になってしまう。薬漬けは、症状が病気のせいなのか、薬の副作用なのかわからなくなってしまう。
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家庭医が必要

2019年08月10日
日本の病院のダメな所はねぇ、〇〇科って細かく別れてて、それを素人の患者が自分で選ぶ必要がある事です。そんなの素人に分かるわけないじゃないですか?〇〇科は〇〇科の事しか分からないし、責任持たない。〇〇科で治らなくても、〇〇科に来た患者が悪いことになる。おかしな話です。

そりゃ、〇〇科と分けなければならないほど、現代は専門性が進んでるのはわかりますよ。でも、病気の入り口で、何の病気かを素人の患者に求めて科を選ばせるのは酷なんですよ。英国ではねぇ、家庭医というかかり付けの総合医にまずかかって、必要なら専門医へという流れだそうですよ。

日本じゃ、難病の場合、素人患者がネットで何の病気か調べたり、病院をあちこち渡り歩いたりする羽目になって、何の病気か探るだけで何年も無駄に苦しむことになるんです。

たけしの家庭の医学って番組で、中々、本当の病気にたどり着けない患者の病気はこれだ、、みたいにやってるけど、そうじゃないんですよ。特定の見つけ難い病気を紹介するのも良いですけど、相談しやすい家庭医から専門医へというシステム作りしないと、テレビで病気紹介しても追っつかないんですよ。

それでなくても、患者は病気で手いっぱいで、考える余裕ないんですから。患者が相談できるかかり付けの総合医=家庭医が日本には必要だと思います。患者が必要としてるのは、相談です。治らない病気だってあるんですから。せめて相談できる医者が欲しいんです。

幕末の頃の医者で緒方洪庵って人居ましたけど、今みたいに〇〇科だから、専門以外は知らねえよなんてことしなかったですよね。病気より患者を診た。データでなく人として診た。そういう医者が必要なんですよ。→ 緒方洪庵の医師の心得
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普通の人

2019年08月09日
普通の人が洗濯したり、飯作ったりして、淡々と生きてるのが一番すごいんですよ。小難しいこと言ったり、凄い絵を描くのが凄いんじゃないんですよ。後消し
| 02:19 | 未分類 | コメント(2)